2007-08-31
内田樹が第6回小林秀雄賞を受賞した。
やばい。
これで内田さんが有名人になってしまう。あの茂木さんのように。
やだ。それはぜったいにやだ。
私だけのウチダだったのに……!
ウチダとの出会いは、いつだったかもう忘れた。
どこかで新聞への寄稿を読んだ。
ほどなくして、我が家で購読している2紙にも寄稿を始めたことがわかった。
まっとうなことを切れ味よくわかりやすく書いていた。
奇特な意見の持ち主ではなく、誰もが同意しそうなことを、しかしウチダでなければ思いつかないような例の挙げ方で、解説していく。
ひと目惚れではなかったけれど、ウチダの文章がわが心を侵食していくのにさほど時間はかからなかった。私が範としたいのはこういう文章なのだ、とウチダに触れて初めて気がついたかもしれない。
多くの人の文章を読み、感動し、お手本にもしていたけれど、所詮書く人間が違うのだから書かれる文章が異質なものになるのは当たり前、もとより文章は「真似る」ものではないし……と真面目な考えでいた。が、ウチダに出会ってからの私は次第に彼に同化してしまいたい、いっそウチダになりたい、と考え始めていた。
もとより内田さんとは知の蓄積の質量が異なるので逆立ちしたって私はウチダになれない。わかっているけれど。
ウチダに惚れてからあまり時を置かずに、彼の顔写真を見る機会があった。これも新聞か雑誌の紙上で。
うわ、おとこまえ……。
お察しのとおり、これで本格的に私はウチダに恋をしてしまった。
あとからいろいろ見聞して、私がたまたま見たその写真はかなり写りのいいものだったと判明する(内田さん、すみません、笑)が、彼が「ええおとこ」であるという私の確信は天変地異が連日ほぼ恒久的に訪れようとも揺るがないものになっていたのである。
ウチダのブログは時に抱腹絶倒、時に感涙、時に怒りを読者にもたらす。たしかに勢いに任せて書き殴っている感は否めない。だからこそ、更新時点でのウチダの脳内が透けて見えるようで、私は大好きである。アクセス数の桁がすごいんだけど、たぶん私はかなりそのカウントに貢献している。更新されてなくても毎日読むし、一日に何回も読む。読んでうっとりしている。
ウチダの著作は、図書館では常に「予約が満杯」でなかなか手にすることができない。『下流志向』なんか200人待ちになっていた。それでも201人目として予約を入れたが、読めるのはいつのことやら。
少ないものでも10人以上の予約待ちを経て、ほとんどを読み終えたけれども、なかでも私がいちばん好きだったのが『私家版ユダヤ文化論』であった。最終章のほうでは涙が出てくるのだ、ほんとうに。
今回の受賞対象になった著作である。
よかった、『下流志向』や『東京キッズリターンズ』とかじゃなくて。
『私家版ユダヤ文化論』については、日を改めてきちんとエントリしようと思っている。
今、私の手元には『知に働けば蔵が建つ』(文藝春秋、2005年)がある。
ブログに書きためたものを編集し加筆したものだが、どの章も面白い。でも著者自身が言及しているように、日頃ブログを愛読しているとあまり新鮮味は感じられないのも事実だ(笑)。
私のようにどっぷりと入れ込んでいると、それでも幸せなんだが。ああ、恋は盲目。
今日の新聞に、小学校の授業時間数を増やすことが決定したと書かれてあった。同じ記事中に、高学年で週に一度オーラル中心の英語の授業も始めるとあった。
でも、そんなのやってもしかたない。
それはわが娘が実証している。
娘の小学校では先駆的に低学年から「英語で遊ぼう」という授業を実施しており、外国人講師を招いて歌やゲームをして遊ぶ時間を設けている。
講師陣の国籍や民族出自はさまざまで、語学習得云々より、世界にはいろいろな人がいるということを肌で感じるのはいいことだと思う。しかし。
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