久女のふきのとう
2006-12-26


『杉田久女句集』
石 昌子/編
角川書店(1969年)


甦る春の地霊や蕗の薹  杉田久女


ある調べものをしていて、この句が目に留まった。
そして、強烈に惹かれた。

蕗は雪解け前に、葉より先に蕾が顔を出す。
雄花と雌花が異株で、蕾のうちはどちらかわからない(咲いても素人目にはオスメスの区別はつかない)。
「ふきのとう」はてんぷらや味噌和えがおいしいけど、男を食べているのか女を食べているのか当方にはわからないのである、と誰かが書いていた。どっちでもいいけど、と思うけど、男(雄花)を食べたいかもな、と思ってから、でもこういうもの(植物)はメスのほうがおいしいのではないか、と思い直す。

蕗は地下茎で増える。地下茎は恐ろしく太くて頑丈らしい。
それだけでなく、タンポポみたいに種子も飛ばす。
生命力があるのだ。上からも下からも、増える。
「蕗」として私たちが食するのは、「葉柄」。茎ではない。
想像するのはたやすいが、だから葉は、大きい。すごく。

生き物の命がほとばしる、早春。
大地の生命を全部うけおった、一番乗りの覚醒が、蕗の薹。
見事に詠んだ久女に感激して、この句集を探したこと、探したこと。
普段俳句にはなじみがないので、一句一句、かみしめるようにして味わった。見たことのない風景が、ありありと目に浮かぶ。

久女の人生を論じたよい書物があるのでここでは触れないが、明治に生まれ、大正・昭和初期に、家庭主婦と俳人を両立させることに費やすエネルギーは現代の比ではなかったろう。
冒頭の句には、久女がもち続けようと願った命のエネルギーが見えるのだ。
地中からいち早く太陽の恵みを察知し、己が存在を示す、ふきのとう。

ふきのとうは、命のサイクルを振り出しに戻して再出発する姿でもある。
もし生まれ変われたら、久女は、俳人を選んだか、あるいは母を、妻を選んだか。同じように自問してみるが、答えは出ない。

本書の編者は、実の娘である。
[ちと古い文学]

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