Fils unique, fille unique
2013-12-19


禺画像]
近所のスーパーマーケット。



『ひとり暮らし』
谷川俊太郎著
新潮文庫(2009年)


「華の40代」(笑)が残すところあと1か月を切ってしまった。早いもんだなー。40歳になった年のあるとき、小学生の娘と地域のお料理イベントに参加した。みんな母と子の参加で、子どもに料理のイロハを体験させるイベントのはずだったが、子はほとんど遊ぶばかりで、けっきょく母親たちが切って刻んで混ぜて煮て炊いて、と全部、わいわいいいながらつくっていた。そんな母親たちを、子ども同士に飽きた子どもらが取り囲んで、俺の母ちゃんこれー、うちのお母さんこのひとー、あたしのママはこれーと口々に母紹介&母自慢。
「ひろくんのお母さん何歳? 35?」
「ゆきちゃんのお母さん何歳? 33?」
「まーくんとこは? なっちとこは? 36? 37?」
「お母さん、お母さん、勝ったで! お母さんがいちばん年上やで」
「見て見て、ウチのお母さん、もう40歳やのにこんなに元気やで!」
……以上はすべてウチのさなぎのセリフである……。(子どもの呼び名は仮名)
私の記憶が正しければ、そこに参加していた子どもたちの9割がひとりっ子だった。小学校低学年のイベントだったので、子どもたちは7〓9歳。その時点でひとりっ子だったら、その後二人めが生まれている可能性はあまり高くないだろう。当時から今に続いておつきあいのある家庭は数えるほどしかないが、見事に子どもたちはみんなひとりっ子である。
ウチの子もひとりっ子、甥っ子もひとりっ子。保育園から一緒の幼馴染みもひとりっ子。ともに陸上に打ち込んだ同級生もひとりっ子。放課後、学童保育に連れだって通った少年たちふたりも、それぞれひとりっ子。
先述したように、32歳で娘を生んだ私は、当時は年かさのほうだった。周囲はやはり20代で第一子を生んでいるひとが圧倒的に多かった。今、30代後半で初産はちっとも珍しくない。やっと赤ちゃんを授かり予定日の近づいた若い友人は、39歳だ。私の髪をいつも切ってくれる美容師は、同じ高校の3〓4年後輩なんだが、40歳で授かった娘を玉のように愛でている。
非婚が進み、晩婚が当たり前になり、それでもし、しぜんに子宝に恵まれればめっけもんだ。たいしてほしいと思わない夫婦はそのままふたりの暮らしを楽しむだろうしなんとしてもほしいカップルは不妊治療にトライする。医療も進んだし、成功率は低くないし。でも、ひとりが精一杯だろう。私の周囲に不妊治療の末の妊娠は片手を超えるが、みんなひとりっ子だ。

私が子どもの頃は、ひとりっ子は稀有な存在だった。
といっても、きょうだいの数は2人か3人、それ以上の例はなかった。
私の父は4人兄弟(ひとり夭逝)、母は8人兄弟姉妹(2人が夭逝)。


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