Les papiers du chocolats
2012-06-16


禺画像]
母と娘への土産には細かい小物を目につくたびちょこちょこと買った。エコバッグだったり巾着袋だったりストラップだったり……。でもこのチョコレートがいちばん「どこで買ってきたか」が相手に対して判然として、お土産らしかった(笑)。
3人で分けていただきました。ごちそうさま。


『対談 世流に逆らう』
佐伯快勝×アレックス・カー
北星社(2012年6月)


発売されたばかりの本である。
コンパクトなソフトカバーでさほど分厚くなく、読みやすい体裁に仕上がっている。……と、そんなことを言うのも、勤務先の上司が部分的に編集にかかわっていたので、私としてはできあがるのをこっそり楽しみにしていたのだ。上司が取材をしていたのは昨秋のことなので、もっと本当のことをいえば、すっかり忘れてたんだけど。へへへ。

一瞬、なんだこりゃ、みたいな表紙だが、めくって読み進むと、とても穏やかな気分になる。先へ進みたくなる。平易な言葉でかなり深遠なことを語り合っておられるのだが、とにかく飽きずに読み進みたくなる。なかなか構成も工夫されている。

佐伯快勝さんというのは浄瑠璃寺のご住職である。アレックス・カーさんというのは東洋文化研究家という肩書きで紹介されているが、私たちのまちでは「町家再生プロジェクト仕掛け人」という印象が強い。同時に、書家である。わりと普通の(といってはなんだが)、よい書の作品を創っている人だと私は思う。書の作品というのは「何て書いてあるのか」が一見して鑑賞者に伝わらなければ意味がないと思っているのだが、何が書いてあるのかわからない書をしたためる書家というのがちょいニョキニョキとはびこってきているのではなかろうかと憂えたりする私である(そういう売れっ子書家に友人がいるんだが、なんだかなー、なんである。ま、いい子だから許している。笑)。

歳をとったということなんだろうか、最近、坊様の言葉に弱いのである(笑)。我が家の菩提寺の坊さんのいうことなんか全然心に響かないんだけど。
有名無名を問わずよく僧侶が新聞でコラムを担当していたり、何かとコメントしていたり、とにかくその思想が活字になって紹介されることの多い私たちのまちでは、はっきりいって(税金も払わないくせにさ)いささか小うるさく感じるのである。宗教嫌いも手伝って、若いときから坊主の書いたもん・いうたことには近づかないようにしてきたが、ここ数年、ほとけさまに近づいてきたんだろうか(笑)、なんの抵抗もなく、彼らの説法を聞いたり、仏の教えにまつわるさまざまなことに耳を傾けたり、そうした類の本を読んだりしている。仕事で神社仏閣を取材する機会が多いことも一因かもしれないと思ってみたが、30歳前からこういう仕事で大小ピンきりの神社仏閣を見てきたはずだが、40代半ばを過ぎるまで、どんな寺院を見ても「だからなんなのよ」的な気持ちが自分の中では支配的だった。まあね、言い訳だけどさ、掃いて捨てるほど神社もお寺もあるわけよ。いちいち感動してられないのよ。
でも、ほんとに、ここ数年は、訪問した場所の土の匂い、祠や社の褪せた木の色、お話しくださる僧侶の言葉が、身に沁みる。

そんなわけで、これは、たいへん身に沁みる、よい本である。

《犠牲を出すことも致し方なしとする西洋の思想と、犠牲を出さずに誰もが救われないといけないとする日本の思想の違い(中略)助かるなら皆で助かる。犠牲になるなら皆で犠牲になる。今こそ、そういう発想が大切なのではないか(中略)しかし、今の日本には、一部の犠牲は仕方がないという考え方の人のほうが多くなってきているんですね。それこそ、今度の原発の問題で如実に現れたんとちがいますか。仏教では皆が助からないと意味がないんです。》(佐伯快勝さん、67〜68ページ)


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