『日本改造計画』
小沢一郎著
1993年(講談社)
フランスを少しばかり知るということは、政治を少しばかり知るということである。私は、高校時代に確か大平首相が亡くなったが、彼が政治家として辣腕だったのか誠実だったのか、何も知らなかったけれど、その前任、前々任……は妖怪陳列棚さながらだったので、お年は召していたが上品なお爺さまだからよいではないかなどと思っていた。したがって、訃報にはいささかショックであった。しかしその後も妖怪陳列棚は続いた。日本の政治の現場には何もそそられるものがなかった。筑紫哲也や吉本隆明を読めというゼミの先生たちの勧めに逆らうつもりもなく読みはしたが、だからといって、政治に関心をもつなんて、ダサイ以外のなにものでもなかった。が、私は、ふとフランス留学を思いつく。好きな映画の舞台になった街を見たいと思う。面白い小説を原書で読みたいと思う。バカ高いシャトーのワインでなく、地元の小さな酒屋やスーパーで売ってる地ワインを二束三文で買って飲み「うまい」といいたいと思う。いろいろな希望が折り重なって渡仏してみると、かの国は、ティーンエイジャーが政治ネタでジョークを飛ばして会話する政治意識先進国なのだった。知り合った地元の若者たちと、マンガや禅やセレモニデュテやトリュフやフォアグラやムール貝の話に花を咲かせながら、彼らの言葉の端々に、尾ひれ背びれのように時の首相や大統領の物真似や、過去の政治家語録をもじった言い回しなどが出てくるたび、私は正直に戸惑って見せた。彼女にはそんなこと言ってもわかんないだろ、いやしばらくここに居ればさ、誰の真似してるかなんてすぐにわかるようになるさ、夜7時のXXXって番組で閣僚ネタの小噺やってるよ……。今でもフランスの若者が政治をよく知っているのかどうか知らない。知らないが、少なくとも20年前って、政治への関心の度合いにしろ有権者の投票率にしろ、日本とフランスあるいは日本と欧州って天と地ほども差があった。
フランスのメディアは政治を面白く書き立てることに長けていた。私は向こうでそんなに新聞を読めなかったけど、とにかく、各紙違うことを1面で言っている、同じことを言っていても表現がぜんぜん違う、ということは、よくわかった。だからって、意識をいきなり高めたわけでもないけれど、私は帰国してから購読紙の政治面をよく読むようになった。読むようになったからといって日本の政治が面白く感じられたわけでもなかったが、遅ればせながらこのままじゃいかんよねこの国、くらいの意識はもつようになっていた。ウチは、私の祖母がたいへんなやり手婦人だったらしく、あっちの代議士こっちの市会議員の応援演説に立ったらしくて、嫁に来たばかりの頃、そういうお客さんが頻繁に来ては深夜まで飲んでいかはったわと後年母は憎々しげに語ったものだ。いずれも所属政党は自●民●党だったし、昔はこのボケナス党以外の政党を支持するなんてただの変わり者か馬鹿だったから、みな長いものに巻かれてなびいていろいろばら撒いてももらってめでたしめでたしだったのである。
私自身はそこに批判的な目を向けるでももちろんなかったし、胡散臭い親父が何人来ようと関心外だった。祖母の葬式にはなんであんたが来るのよ、みたいなエライセンセイたちがいっぱい来たらしい。我が家はその後金回りが悪くなって、父は借金をやたらしていた。
なんとなく、祖母の晩年から死後の数年間を、ウチの家そして地元のまちを生きてきて、ものすごく嫌な空気の存在を感じ続けていて、あるとき我慢ならなくなった。けったいな議員と酒飲みに行くのやめてよ、あいつらウチになにもしてくれへんやん。泥酔して帰った父に私は一度だけそう怒鳴ったことがある。