私はグリーンピースとか実は大嫌いなんだけど、あ、豆の話じゃなくてNGOのほうですけど、嫌いな相手からも学ぶことは多々あるわけである。嫌いな相手が必ずしも自分にはない斬新なアイデアを持っているから学べるということばかりでなく、やっぱりスカポンタンなことしか言わないぜだから嫌いなんだよ、という場合でも考え方の一つとして学ぶところはあるのである。だからあっちの立場もこっちの立場も向こうの立場も自分の立場でさえも、何回も往復巡回して確かめる。そんなこと必要ないケースのほうが多いけど、そうしたほうがいい稀なケースにそういう手間を惜しんではいけないのである。
そんなわけで、グリーンピースさんのスタッフさんが日本縦断講演会をするそうなので、関心のあるかたは下記をクリックされるがよろし。
[URL]
私は自然エネルギーなんか「けっ」という立場なので、脱原発派だけど、自然(再生)エネ派ではないという意味で、このドイツ人さんが主張されるであろうことには「けっ」としか思わないであろうと想像されるが、それでも傾聴すべきなんだろなと思う。でも10/12(水)なんて絶対行けねーもんな。もしどなたか行かれたら感想を述べられたし。
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これまでいろいろとあっちを読みこっちを読み、考えてきた(まだまだ考え足りないが)。
私は自分で自分のことを決して特異だとは思っていないし、といって決してほめられた常識人でもない、とも自覚しているんだけど、そんな私がどう考えても、真っ当に考えれば考えるほど、出てくる結論は「原発やめるしかないやん」なんだが。至って平静に、そう思えるのだが。
なのに、美味し国「うつくしまふくしま」をあんなにしてしまったのに、それでもやめないってへーきで言う人がかなりいるということに唖然とする。
『夕凪の街・桜の国』で、ヒロインが「死んでもいいって思われたんだ、私たち」とつぶやく場面があったように思うんだけど、震度6程度で壊れて放射性物質を漏らしちゃうかもしれない施設をつくって老朽化しても放置してたってことは、周辺の住民のことなんか「死んでもいい」と思ってたに等しい。都市部から離れた過疎地だし、何か起こって死傷者が出ても大した数にはならないし、と、要は見通しが甘かった。ええ、たしかに見通しは甘かった。でもさ、いわば見通しが甘かっただけじゃん。「だけ」じゃん。と、そう言っているのだ。これって、水俣でチッソがやらかしたことと同じで「僕らのせいじゃないよ、だってわざとじゃないもん、だってそんなことになるとは思ってなかったもん」という理屈である。ただただ、逃げるのである。悪質な轢き逃げとおんなじ。あれ、なんか撥ねちゃった? やばいかも? でも見えなかったんだもんしょうがないよな、しーらない、とりあえず逃げよ。
ある人間のことが憎くて憎くて仕方がない。
だから殺そうと決意した。
入念に準備をした。計画した。抜かりのないように手はずを整えて、殺した。
殺した人間はひどい奴である。なんでまたそんなに憎む羽目になったか、時間をかけて計画練って、そうしている間にもぴくりとも揺るがなかった殺意、そんなもの、人として到底容認はできない。人類史最大の悲劇といわれる、アドルフ・ヒトラーによるホロコーストは、こっちの類である。んなもん、許せるはずはない。
ないんだが。
軽い気持ちで酒を飲み、深夜だから車も人も少ないと思ってスピードをガンガン出し、よく前を見ないで走って挙げ句に人を撥ね、引き摺って、わざとじゃないもんねーとただひたすら逃げる。
私はこの後者のほうがさらにいっそう悪質だと考える。誰がなんと言おうと絶対に許すことはできない。
水俣病の発生も原発事故による放射能汚染も、こっちに似ている。