ミドリが死にました……。
……。
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瞳を開いていますが、お亡くなりになっています……。
……。
……。
寿命だったのだと思います。
そう思いたいです。
ここ数年、同じように季節は巡っていたかに感じられたかもしれませんが、ミドリとともにわずかな気温の上下や空気の匂いや湿り気を、全身を触覚にして感じてきたわたくしには、一度として同じように気候が推移した年はなく、変温動物であるミドリにはさぞかし辛い辛い幾歳月であったのではないでしょうか。
初めて我が家に来た年は11月半ばには冬眠できる気温に下がったのに、年々秋冬の気温の下降期は遅くなるばかり、そして春はいきなりやってきて、来たかと思うとまた冷え込み……。そんなややこしい気温の冬〓春が続きました。この前の冬は一度急激に下がったかと思うと12月にはまた上昇し、ミドリはその度に目を覚ましたのです。目が覚めても、餌に飛びつく体力はなく、目覚めたぶんだけ消耗するだけ。やがて本格的に寒くなって、やっと眠ったのですが、それでも3月初めにはもう目覚めておりました。睡眠不足でございます。
今春は、起きてもぼーっとしていまして、毎年、起きたら翌々日くらいから活発に動くのですが、今年はいつまでたっても、餌に食らいつこうとせず。
それでもちょっかいを出すと逃げましたし、霧吹きすると気持ち良さそうにしましたし、ま、カエルだって年とると動きは緩慢になるわな、という程度にしか考えていなかったわたくしでございます。
昨日の朝、ミドリは白い腹を上にして、両手両足を広げ、ひっくり返って寝そべっておりました。私はミドリの腹に負けぬほど頭の中が真っ白になり。
「ミドリっ」
駆け寄って介抱しますと(というよりつまみ上げてやっただけですが)まだ少し息がありました。水槽の中に置いているライムポトスの鉢に座らせてやりました。まだ、ミドリの喉もとと背中はひくひくと動き、つぶらな黒い瞳がじっとこちらを見つめておりました。ただ、もう、ミドリの最期が近いことを、確信したのはたぶん当のミドリではなくわたくしでございました。
その姿のまま、今朝はもうぴくりともしませんでした。
臨終がいつだったのか正確にはわかりません。
我が家での暮らしは丸6年に及びました。永らくいてくれたことを喜ばなくてはいけないのでしょう。けれど、私は、私だけでなく娘も母も、ときどき遊びに来てくれる向かいのみゆちゃんも、ミドリはこの先何年も変わらずここにいてくれるような気持ちでいたのです。
炊事洗濯に髪振り乱し、好かんクライアントに顔で笑って心で舌打ちし、東北の被災地を憂いて、福島の子どもたちの健康に気が気でなく、くすぶる原発に経を詠み、放射線数値に右往左往し、でたらめなまだらめとかスカタンなナオトカンとかボンクラなトーデンとかその他大勢のノーテンキなノータリンどもに罵声を浴びせながら、せっせせっせせっせとひたすら原稿を書き続けるとっても多忙なわたくしだというのに。
悲しみのあまり今日は一日呆然としておりました。
セ
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