Parce que demain se decide aujourd'hui. ...ou demain?
2011-04-08



今日、入学式だった。
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津波に校舎ごと流されてしまった小学生たちの、また中学生や高校生の、在ったはずの未来を思った。いくら思っても全部を想像できないし、できたところでさらわれた命は還らない。子どもたちの未来はあまりに大きすぎて、明るすぎて、可能性に満ちすぎていて、あまりに多くの未来をいっぺんに喪失した事実が重すぎて、あるはずだった輝きの上限を思い定めることができない。

連日の、報道されることとされないこと。個人的に気になることや、人に指摘されて調べてみたりすること。まだ私の余裕のない頭の中では、いろいろなことが整合しないで散らばっている。遠くにいてさえこうなのだから、渦中にいる人たちはどんなにか不安で落ち着かないことだろう。

小さな遺体の入った棺を抱え、火葬場へ向かう車の中で初めて声を挙げて泣いた人(安置所では遺体を探す人に気遣って泣けないから)。
ずっと、親にも兄弟にも会えないまま、ただ「お母さんへ」で始まる手紙を毎日書き続ける子ども。
子どもの姿は携帯電話にあった粗い画像の1枚だけ、後は全部流されたという若い母親。

地元紙には被災した人びとのさまざまな姿と悲鳴が毎日レポートされる。涙なしで読めないことしばしばだけれど、必ず読む。
無力な自分がほとほと嫌になる時間である。
けれど、報じられないことのほうが、実はずっと多い。
自分自身は壊滅的な打撃は受けなかったにしても、職場が復旧しない人。
自分の被害は少ないほうかもしれないが、それでも従来どおりの日常を取り戻せない人。
大きく、長い揺れのために怪我をし、命に別条はなかったが心身の後遺症に苦しむ人。
こういう人たちの困難や不安にもっと寄り添ってあげたいと思う。被害が軽微であった、とりあえず周囲は復旧した、だとしても、目に馴染んだ風景が一変したことによるショックや、あまりの甚大、壮絶な被害に、「なのに自分は助かってしまった」という思いに苛まれ、命拾いを喜べず、「もっと辛い人がいるんだ」という気持ちから自己の悲しみ・苦しみを飲み込み、押し殺してしまい、心を病んでしまう……。そんなことにならないように、どこのどんな人の言葉にも、耳を傾けたいと思う。


よっぱさんは、かつて文章塾というところで一緒に学んだ仲間である。
よっぱさんは、とても優しい。
よっぱさんが書くのは、ストレートな恋愛物語。お洒落なハードボイルド。登場する男女はカッコよかったり、気障な台詞を吐いたり、でも素直でお茶目で、おっちょこちょいだったり。読む側がすんなり感情移入できるキャラクターを難なくこしらえて、愛を語らせた。


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[ええおとこ]

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