『ミレナ 記事と手紙 カフカから遠く離れて』
ミレナ・イェセンスカー著 松下たえ子編訳
みすず書房(2009年)
若さにまかせてヨーロッパのあちこちを旅したが、二回以上訪れたのは、留学や仕事でいったフランスと旧来の友達のいるドイツを除けば、ヴェネツィアとプラハだけである。ともにたいへんな人気観光都市なので、もはやいつ行ってもガイジンだらけだが、初めてプラハを訪れた80年代半ばはまだ「ベルリンの壁」も健在で、東欧諸国はソ連の監視下にあったときだったので、こう言ってはなんだが東欧のどの街も「手付かずの」「庶民の暮らしに煤けただけの」飾らない美しさに満ちていて、物を知らない若造だった私ですら、その美の純度の高さに感動した。プラハのカレル橋の途中で立ち止まり、モルダウ河をただ眺めた。生涯、あの風景を超えて美しい眺めに出会うことはもうないと思う。私は人通りもまばらな橋の、大きな彫刻の足許で、涙があふれてくるのを抑えられなかった。泣く理由は何もなかった。当時チェコや東欧の文化も歴史もなにも知らなかった。ただ日本人旅行客があまりいないだろうという理由で東欧へ行ったのだった(私は日本人が嫌いだった)。幾たびもの戦禍に遭い、平時ですらなお抑圧されている国の人々の悲哀などに思いは至らなかった。私はただセンチメンタルに、どんな絵よりも美しい風景を前にして、胸がいっぱいになって泣いたのだった。今でもあのときのモルダウの風景を思い出すことができる(ただし、二度め三度めに行ったときにも同じように橋に立ちモルダウを眺めたが、同じ風景には出会えなかった)。
フランツ・カフカが住んでいたという界隈も訪ねた。静かでひと気のない、質素な町並みだった。でも「ベルリンの壁」崩壊後はたぶん土産物屋ストリートになってしまったんじゃないかな。最初の静謐な雰囲気が印象的で、二度め三度めのプラハ訪問でも必ず足を運んでいるはずなのに、行ったかどうか覚えていない。ありきたりな、西側諸国の観光地と同じような風景になってしまったせいなのか。
さて本書である。みすず書房から来た本書の出版案内を見て、ミレナという女性がものを書く人であり、さらにプラハ市民であったとわかり、正直すごく親近感が湧いたのだった。本書の前半部分を占めるのは、彼女が新聞や雑誌に寄稿した署名記事である。それはあるときには家庭をもつ主婦の視点であり、あるときは快活に街を闊歩する職業婦人のそれであり、あるときはドイツ系市民の横柄さに憤るチェコ系市民の厳しい視線が書かせたエッセイだ。躍動感に満ち、また生活感にあふれた文章にはファンも多かったという。ミレナ自身は、こうした毒にも薬にもならない文章を、生活のためとはいえ書かねばならないことを少し恥じていた。それで文通相手のカフカにも、読まないでと告げていたのだった。だがカフカは、ミレナの書いたものをすべて読みたがった。病んでいたカフカには、ミレナの手紙だけでなく、彼女が書くものすべてがエネルギーの源だったかもしれない。
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