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《(…)おっしゃるとおりチェコ語は分ります。なぜチェコ語でお書きにならないのか、と今までも何度かおたずねしようと思いました。と申しても、あなたのドイツ語が不完全だから、などというわけではありません。たいていの場合はおどろくほどうまく使いこなしておられます。そして、ふと、あなたの手に負えなくなると、かえってそのドイツ語の方で、進んであなたの前に頭を下げているのです。その時のドイツ語がまた格別に美しい。これはドイツ人が自分の言葉であるドイツ語からはとうてい望み得ぬことで、思いきってそこまで個性的な言葉使いで書くことができないのです。しかし、あなたからはチェコ語でお手紙をいただきたいと思っていました。なぜなら、あなたの母国語がチェコ語であるからであり、そのチェコ語のうちにのみミレナ全体が息づいているのであって(翻訳がそれを裏書きしています)、(…)》(10ページ)
チェコ語とドイツ語は似ていない。しかしヨーロッパ言語を体系づけたらたぶん同じエリアにくくられる言語だろう。プラハには何度か行ったけど、街の人たちは、外国人に道を尋ねられたりしたときはまず「ドイツ語はおできになりますか」と聞いて、相手の答えが「はい」ならドイツ語でさらさらっと説明してしまう。今はおそらく事情は異なるだろうけど、25年前はそうだったし、17年前もそうだった。それは、チェコという国の生い立ちが人々にそうさせていたのであって、かつて一緒の国だったスロヴァキアではまたまるで言語事情は異なっていた。
それはさておき、ミレナはプラハ生まれの誇り高きチェコ人であった。プラハという町はそのからだを微妙にドイツ人エリアとチェコ人エリアに分裂させてしまっていて、どういうわけか(そりゃそうなんだが)ドイツ人が偉そうに振る舞っていた。
ミレナはプラハでエルンスト・ポラックという10歳ほど年上の男性と恋に落ち、父親の反対を押し切って結婚し、ウィーンに住んでいる。最初にカフカと出会った場所はプラハのカフェと解説に書いてあったように思うけど、とにかく、二人の手紙はメラーンとウィーンを頻繁に行き交った。カフカは翻訳者としてのミレナの仕事を高く評価し、ミレナもそれに励まされ次々とカフカ作品をチェコ語で紹介していった。カフカは、幾つかの新聞や雑誌に記事を寄稿していたミレナの文章を、読みたがった。二人は互いに、互いが書いたものを読み尽くすことでその精神と肉体を征服しあおうとしていたかのようだ。
《(…)二時間前にあなたのお手紙を手にして、おもての寝椅子に横たわっていたときよりは、気持が落着いてきました。私の寝そべっていたほんの一歩前に、甲虫が一匹、あおむけにひっくりかえってしまい、どうにもならず困りきっていました。体を起こすことができないのです。助けてやろうと思えば造作もないことでした。一歩歩いて、ちょっとつっついてやれば、明らかに助けてやれたのです。ところが私はお手紙のせいで虫のことを忘れてしまいました。私もご同様に起きあがることができなかったのです。ふととかげが一匹目にとまったので、それではじめてまた周囲の生命が私の注意をひくことになりました。とかげの道は甲虫をのりこえていくことになっています。その甲虫はもう全然動かなくなっていました。じゃああれは事故ではなかったのだ、断末魔の苦しみだったのだ、動物の自然死という珍らしい一幕だったのだ、と私は自分に言いきかせました。ところが、とかげがその甲虫の上を滑っていってしまい、ひっくりかえった体をついでのことに起してやったあと、なるほど甲虫はなおしばらくの間、死んだようにじっとしていましたが、それから、まるで当然のことのように、家壁を這いのぼっていきました。これが何か少しまた私を勇気づけてくれたようで、起きあがってミルクを飲み、この手紙を書いた次第です。フランツ・K》(15ページ)
本書のこのくだり、私のいっとうお気に入りであります。カフカってばほんとうに虫が好きなんだね。(いや、そうじゃないかもしれないけど)