みんなが感動することに同じように素直に感動するのもいいけれど、みんなが素晴しいと言うものを同じように素晴しいとは到底思えないという感性も必要であるの巻
2009-06-04


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少し前のことですが、念願の「Cafe Apied」訪問を果たしました。幸せな空間だった……
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『西の魔女が死んだ』
梨木香歩 著
新潮文庫(2001年)


「お母さん、みんなが『西の魔女が死んだ』はすごくいいっていうねん」
「ふうん」
「今度図書館行ったら借りてきて」
「止めとき。『オズの魔法使い』読むほうがええ。西の魔女、でてくるやん。最後死ぬやん」
「そやけど、違う話やん」
「あ、知ってた?」
「当たり前やろ」
「読んだ人から話聞いとき。わざわざ読まんでもいいって。ほかに読まなアカン本はいっぱいあるで」
「なんでぇ」

まさか『親指さがし』のほうがはまし、とまでは絶対いわないけれど(笑)、『西の魔女が死んだ』を読む時間があったらほかに読んでほしい物語はいっぱいある、というのは本音だ。私はずいぶん昔に『裏庭』を読んで以来申し訳ないけど梨木香歩の作品に先入観をもってしまって近寄れなかった。『西の魔女が死んだ』の評判は知っている。私の友人も、信頼できる筋も、読んだ人はたいていよかった、感動したという。だからたぶん私も、『裏庭』がどうあれ、それはそれとして、『西の魔女が死んだ』を読めば普通に感動するかもしれない。そう思うとなおさら読みたくない。……天邪鬼のようだが、こういうのがベストセラーやロングセラーに対する私の場合のごく普通の反応である。であるからして、ことさらに『西の魔女が死んだ』だけを毛嫌いしているわけではない。しかし、本書の場合はそういう私の性格に加えて、ネーミングや登場人物設定から『裏庭』と同じ、自分とは相容れないなんらかの匂いを感じて本能的に避けていたのである。

そうはいっていても、案の定、主人公と同じ年頃の中学生たちの間では、とくに女子生徒の間では絶大な人気があるらしい。本好きな子はすでに小学校時代に軽くクリアしている。中学1年生のとき、クラスメートのさくらちゃんから、さなぎは『西の魔女が死んだ』の単行本を借りてきた。イケズな母が図書館で借りてきてくれないから(笑)。

「読んだ?」
「うん、読んだ」
「どうやった?」
「さくらが、すっごぉくいいで、感動するで、絶対泣くで、てゆうてたけど」
「けど?」
「どこで泣くのかわからへん」

さすがは私の娘である(万歳三唱)。

以上の出来事は去年の夏頃だったと思う。
さくらちゃんは中学校に入ってから仲良くなった子で、四人きょうだいのいちばんお姉ちゃんであるせいか、ウチの子よりずっと小柄で丸い顔があどけないのに、とてもしっかり者で頼れる存在である。昨年度一年間はクラスのいろいろな活動でさくらと一緒に行動し、さなぎはずいぶん彼女の世話になり、また互いに信頼関係も築いたようである。2年生になってクラスが分かれたが、相変わらずよくくっついているみたいだ。

いつかも触れたが、娘はとても「昭和な」国語の先生を慕っているので、よく読書のアドバイスを受け、図書室で先生の言にしたがって本を借りてくる。先日も文庫を何冊か持って帰ってきた。そのなかにまたしても『西の魔女が死んだ』があった。

「あれ、また西の魔女」
「うん」
「読み直してみようという気になったのはなぜですか、お嬢さん」
「前は、さくらに早よ返さなあかんてゆうのもあったし、なんかさささっと読んで……何が面白いんかなー泣けるんかなーってわからへんかったし」
「じっくり読んだらまた違う感動を得るかもしれないというわけですか」
「映画になったって、聞いた」
「うん、西の魔女=おばあちゃん役した女優さん、きれいな人やで」
「え、観た?」
「ううん、雑誌のインタビューを読んだん」
「ふうん……映画になるくらいやし、やっぱし感動的なんちゃうかなあ……」


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