なんつーか、友達って大事よな、大事にせなあかんよな、ということをやたら考える昨今であるのはどうしたわけかと思ったの巻
2009-03-16


主人公のナガセと、ヨシカはじめ大学時代の友人たちは、私自身にも、小百合ら友人たちにもまるで似ていないけれど、その距離の保ちかたやかかわりかたには、とても共感するものがある。作者の津村さんやナガセたちと、私たちは世代が大きく異なるけれども、ともに、女が大学を出て働くのが当たり前になった世代である。いつの時代にも、キャリア志向でありながらぽんと嫁入りして主婦業に専心することをよしとする女性たちもいる。家庭に入りたいと思いながら、生きていくために必要以上に働かざるを得ない女たちもいる。私みたいに。
ナガセが結婚できなかったら養子でももらおうか、と同居する母親に問いかけたとき、母親は、いらんわそんなん、という。そのリアクションはウチの母でもそうだろう、と思った。なんでよその子の面倒見んならんの。孫を溺愛する母だが、よそはよそ、知らん子は知らん、なのである。ナガセの母親は還暦くらいでウチの母ともちろん同世代ではないが、「他」へのまなざしにはけじめをつけているという点では共通している。
ただし、たぶんナガセの母親は、娘に無理に結婚してほしくないだろうし、年齢で女の価値は決まらないと思っているだろうが、私の母が29歳の私に「結婚したかったらしたらええ」といったのは「早よせな商品価値なくなるんやさかい、親の許しをいちいちとらんでもええ」という意味であった。彼女たちにとっては女が独身で30歳を超えるなど言語道断だった(笑)。

そういう若干のずれはあるけれど、おおむね『ポトスライムの舟』は、うんうんそうだよねとうなずきながら読める小説であった。ただ、これが芥川賞といわれると、ふうん、としかいいようがない。『沖で待つ』のときも思ったが、審査基準がわからない。面白くないとはいわない。むしろ、面白い。でも、芥川賞ってもっと「おおおすごいものを読んだぞ」みたいな読後達成感を味わわせてくれるもんじゃないとやだなあ、なんてわがままをつい思ってしまう。選にもれた他の候補作を読んだことがないので比べようもないけど、該当者なし、という選択肢はないのかな。

戻る
[今の文学]
[まがじん]
[むかしばなし]

コメント(全10件)


記事を書く
 powered by ASAHIネット