むちゃくちゃしんどい、ので

コメント(全7件)
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コマンタ ― 2008-10-08 23:16
たしか『人生論ノート』にあったと記憶するんですが、「希望を刺激する」というフレーズをおぼえています。ジェットコースターに乗るような心理のことを言っている、とぼくは勝手に理解しました。
女の人は転勤などでお互いの距離が遠ざかったとき別れをほのめかしがち、でもそれは文字どおりでない場合もあるのだ、と耳にしたことがあります。すなわち、自分がどれだけ愛されているか、確認する……。
また、養護学校に暮らすような子供に限りませんが、幼い子供が親の愛情を試すようなふるまいをするのは、これも希望を刺激しているのではないかとぼくは愚考するものです。玄田氏の提唱する「希望」といっしょにはできないかもしれませんが。
ぼくでも希望を持っているんだなあ、と記事を読んで思いました。
鹿王院知子 ― 2008-10-09 15:54
やっぱり若者が希望なり、夢なりもてる世の中にしないと
いけない、と切実に思いました
器用に、失敗せず、そこそこ、生きていこうと思っている若者の多いこと
ポイントだけを教えて欲しい
そういう学生が非常に多いのです
回り道を嫌うのでそこから自然発生するべき枝葉を経験することがなく大人になってしまう
また受験の経験がないので
就職がはじめての受験?になってしまう
いろいろな普通の経験がないまま
たとえば反復練習をしていくとか
大人になってしまう……

ものすごく愛をもって接しても
世の中の風潮には勝てない、と思いました
悪いことを、悪いといえるようにしなくてはいけないんですけどねー
本来ならば若い人にはきれいごとだけを教えていればいいんですよね
いやなこともある、ということをいやでも知るわけですから
正しい、かくあるべきだ、ということをちゃんと教えてあげる
今はなんか若い人、学生に変な大人の社会の縮図を
教えてしまう構図になっているような気がするんです
わかっていたけども
私にも結局は何もできませんでした


本来は純真な美しい心を持っている若者になんとか希望をもったいい人生を歩んで欲しいと思います
midi ― 2008-10-09 18:05
コマンタさん

それは、このくだりですね。
《もし一切が保証されているならば希望というものはないであろう。しかし人間はつねにそれほど確実なものを求めているであろうか。(略)言い換えると、彼は発明された偶然、強いて作られた運命に心を砕こうとするのである。恐怖或いは不安によって希望を刺戟しようとするのである。》

この少しあとに、こんな一文があります。
《断念することをほんとに知っている者のみがほんとに希望することができる。》

玄田さんは、本書『希望学』だったか他著だったか忘れましたが、希望について残されている名言を羅列していました。その中に三木清の言葉もありました。

鹿王院知子さん
さすが、現場で学生さんたちを教えていた人の言葉には重みがあります。

>本来ならば若い人にはきれいごとだけを教えていればいいんですよね

そうでしょうね、正論、理想論でもいい、ブレない筋の通ったことを毅然とガツーンと教えてやりさえすれば、子どもたちは勝手にあっちにぶつかりこっちで転んだりしながら、絶望の淵で世の中のバカヤローなんて泣きながら、あるときふと師の言葉を思い出してくれる。

>変な大人の社会の縮図を

ほんと。根回しの仕方とか、つい余計なことを、ねえ。
親が会社の仕事の話(純粋な仕事の面白さではなくてよく私が書き散らしているような大技も小技も効かないアホクライアントの噂とか不毛な長時間会議の内容とか腐蝕の産業構造とか)を家でするのがよくないんじゃないかなあ。私は話す相手がいないのであまりしないけど、夫婦ともに同じような立場だったらその手の話につい花が咲くでしょうけど、子どもにはよくないんでしょうね。
儚い預言者 ― 2008-10-10 14:42
無手の強手。こんな言葉を想い発ちました。「生きる」ということにどんな意味を込めるか。上手に生きるだけでない、その力とは、宇宙の発祥に関する偉大な「想い」を考えさせてくれます。
 そうどんなに頑張っても、奇跡を起こしても、範疇の中は、範疇なのです。それでしか現せないから。でも少し視野を広げれば、そうでない事も想像できるはずです。
 こんぐらがえりますが、どんなに小さくしても、まだ先が。どんなに大きくしてもまだ広く。ドレミの音程は、無限に上下にあるわけです。

 ここにあることは、考えることは、感じることは、真実でない幻でしょうけれど、他を見ても全く同じ状況であることに違いはありません。

 さて、今の状況でしょうか。人類の発作の一番最初に戻りつつあるといえば、どうでしょう。何もかもすべて創り出さねばならなかった状況に。
 複雑系の崩壊はもう見え見え。それをどう組み替えても、原初の感覚と喜びを現せられない。
 希望とは志の夢でしょうか。世界は無辺にあるのではなく、ただ自分のありようを問う場であることを忘れ、世界を蹂躙するだけが目的に成り果てている。

 なにもなく、すべてある。私がいて、あなたがいる。その喜びを、別れて、もう一度一体化することの至上。

 私の幸せが世界の幸せであることが最大の喜びでしょう。ただ問うべきは、私は世界に何を与えられるのだろう。ということです。

 耳元で囁く。
 「お前を愛している」
 「嘘でしょ」
 「この心が見えないか」
 「見えないわ」
 「この高ぶる魂が見えないか」
 「もちろん見えないわ」
 「このお前に触れる手はどうだ」
 「あっ」
 「僕たちの愛が世界を創るのだ」
 「冗談でしょ」
 「僕たちは宇宙の発祥になるのだ」
 「嘘ばっかり」
 「この手が愛しい愛を抱き、愛になるからだ」
 「あっだめ」
 「愛の法則はただひとつ。慈しむことだ」
 「どういうこと」
 「こうだ」
 「あっううっはあーー」
midi ― 2008-10-10 17:57
なんでも言い出したらキリがないってことでしょうか。
たしかにドレミの音階は無限。
望みも期待も、もち始めたら無限にもてる。
だけど、その手に掴めるものはひとつだけ、なんですよねえ。
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