時代は少しも変わらないと思う。
2007-12-30


『十二月八日』
太宰治 著
筑摩書房〈ちくま日本文学全集「太宰治」1991年刊所収〉


過日、パキスタンの元首相ベナジール・ブット女史が暗殺された。それを伝えるフランスのラジオ放送(RFI)がしきりに「カミカーズ」という言葉を用いている。「カミカーズ」はアルファベットで「kamikaze」、語源は日本の「神風」である。よく知られたことだけれど。

昭和16年12月8日は、日本海軍が太平洋のハワイ島に停泊していた米国の戦艦を攻撃した、俗にいう「真珠湾攻撃」の日である。太宰のこの短編は、ひとりの主婦のこの日の日記である。

《昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。》
《私の主人は、小説を書いて生活しているのです。なまけてばかりいるので収入も心細く、その日暮しの有様です。》

太宰(らしき作家)の妻(=美知子)の視点、一人称で書かれている。太宰の作品はとても私小説的であったり限りなくエッセイみたいであったりするのだが、本書巻末のあとがきを書いた長部日出雄によればそれらはすべて紛れもないフィクションであるらしい。だから『十二月八日』も、妻に取材をして妻の見解を綴ったものでもなんでもなく、近所のラジオから聴こえる開戦の報、朝の支度に追われながら赤子に乳をやる妻、隣家と交わす他愛ない会話を材料にして仕立てた「ある家庭の一日を描いた小説」なのである。

《(……)帝国陸海軍は今八日未明西太平洋おいて米英軍と戦闘状態に入れり。」(……)それをじっと聞いているうちに、私の人間は変ってしまった。(……)日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。》

暖冬が恒例となった現在では想像もつかないが、12月8日はとても寒いようである。

《いいお天気。けれども寒さは、とてもきびしく感ぜられる。昨夜、軒端に干しておいたおむつも凍り、庭には霜が降りている。山茶花が凛と咲いている。静かだ。太平洋でいま戦争がはじまっているのに、と不思議な気がした。》

いつもと同じ一日が始まって、いつもと同じように朝餉昼餉の用意をし、子の世話を、夫の世話をする。それでも、洋上で攻撃を仕掛けた帝国軍のニュースに身を震わせる。隣の夫人にこれから大変になりますわねと声をかけると、《つい先日から隣組長になられたので、その事かとお思いになったらしく、「いいえ、何も出来ませんのでねえ。」と恥ずかしそうにおっしゃったから、私はちょっと具合がわるかった。》

あることを念頭に話しているのに相手は違うことを考えている、だけど会話はきれいに成り立ってしまって、相手と自分の関係を損なわないが、「私はちょっと具合がわる」い、なんてことはいつだってどこにだってよくあることである。

12月8日、のちに軍神といわれる9人の特攻隊員が米戦艦に突っ込んで果てた。坂口安吾は彼らへの畏怖を『真珠』という一編にこう書いている。

《十二月八日以来の三ヶ月のあいだ、日本で最も話題になり、人々の知りたがっていたことの一つは、あなた方のことであった。
 あなた方は九人であった。あなた方は命令を受けたのではなかった。》

私はどちらかというと太宰よりも安吾が好きで、とはいえどちらも同程度にしか読んでいないけれども、そこそこ大人になってから読み返したときも、安吾の文章が鈍器でぐりぐりとお腹を押される感じがするのに対して太宰の文章は「ただそこにある」という感じがして、やっぱり安吾が好きだなと思ったものだった。この感じ、これらの作家をよく読んでらっしゃる方にもわかってもらえる感覚ではないかと思う。昔、ある場所に安吾評を書いたことがあって、彼の文章を「鈍い鉱物的な重い光沢を放つ」などと表現した覚えがあるのだが、今、さらに歳を重ねた大人になって、もう一度安吾を読み返しても、それはやはり変わらない。

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[ちと古い文学]

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