摩天楼に君を想ふ
2007-09-12


『街場のアメリカ論』
内田樹著
NTT出版(2005年)


今日は9月12日である。今朝の新聞に、グラウンド・ゼロでの追悼集会風景の写真が載っていた。そういえば、昨日は9月11日だったのであった。

生意気盛りであった20代半ばの頃、親友の小百合(仮名)と米国旅行へ出かけた。ある年の9月、私たちはそれぞれの職場でそれぞれの上司に取り入って、有給と土日をくっつけて12日間の休暇を得た。
この旅はなかなか愉快だったので、詳しくそのドタバタ紀行を書きたいと思っているが、今日の本旨は別にあるゆえ次の機会に。

小百合と私はある夜、エンパイア・ステイト・ビルディングの最上階に上り、輝く摩天楼を見渡し、それぞれほうってきた恋人のことを想っていた。当時私の恋人は例のジャズ通で、「俺も行きてえ」なんてゆっていたが「女どうしの旅なのよっ」と邪険にした。小百合も同じようなことを言っていた。だが私たちは二人とも、やはり旅の半ばで男も連れてくりゃよかったと、ちょっと感傷的になっていた。そういう乙女心に、ニューヨークの夜景はきゅるきゅると沁みた。会いたいなあ。会いたいよお。エンパイア・ステイト・ビルディングの最上階から、きらきらのパノラマにくらくらしながら、私たちはニューヨークの何も、見ていなかった。さらには、フェリーに乗って夕陽に輝くマンハッタン島を下から眺めるという体験までしたのに、何も、見ていなかった。

というのも、あの9月11日の、同時多発テロの映像がテレビ画面に映し出されたとき、まず私が放った言葉は「こんなビル、ニューヨークにあったっけ?」であったからである。なんと不謹慎か。私、このビル見ていたはずだよな……。報道を見て地図で確かめて、私はあの小百合との旅行を思い出していた。思い出にひたってのち、我に返って出来事の規模の重大さに唖然となった。唖然となったけれど、次につい口に出した言葉は「だから言わんこっちゃないよ、アメリカめ」だった。どこまでも不謹慎である。

ここで「なぜ私はアメリカが嫌いか」を述べるつもりはない。アメリカ嫌いは別に私だけの事象ではなく、日本人全員に関わることだから、私がとくとくと述べる必要はないのである。個人的にアメリカ人に恨みはない。私はタイソン・ゲイにも拍手を送るし、今でもハリソン・フォードは大好きだ。アメリカが好きな場合も嫌いな場合も、日本人は誰しも共通して、アメリカに対してひと言で言い表せない複雑な感情をもっているものだ。それが普通の日本人である。
この感情について明快に説明しているのが、愛するウチダの『街場のアメリカ論』なのである。

同じような行動様式の人も多いと思うけど、私も、本を読むとき、まえがき→あとがき→目次の順に読む。そこまでいってしばらくはその本を読み終えた気になってしまう。実際それで事足りる本の多いこと(笑)。愛するウチダの『街場のアメリカ論』も、正直言っちゃうとその類に入る(爆。ただし、私の場合、ウチダが「何を」書いているかよりも「どのように」書いているかが重要なので、全部読むけれども)。

私は本書が大好きである。予約満杯でなかなか手にできないウチダの著作の中で、この本はなぜか、けっこういつも図書館の書架にある。だからあれば必ず借りて読む。これまで幾度借りたことだろうか。借り手がいないのは面白くないからだとおっしゃる方も居られよう。
でも、騙されたと思って一度「まえがき」だけでも目を通してほしい(けっこう長いんだけど)。当ブログの常連さん(○○塾関係者)たちは、騙されたと思って「あとがき」だけでも読んでほしい。
それでも「いやだよ」とおっしゃる方に、引用大サービス。

《日本のナショナル・アイデンティティとはこの百五十年間、「アメリカにとって自分は何者であるのか?」という問いをめぐって構築されてきた。その問いにほとんど「取り憑かれて」きたと言ってよい。》(8ページ)

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