2007-04-15
来た。
うう。痛い……。
ずうん、と重いものが落とされた気分だ。
重みに痛みを弄ばれていると言ったらわかってもらえるかな。
痛いんだよ、熱い鉄球が転がった挙句、鋭利な刃物に変質して、今度は体の奥を刺しては引いて刺しては引いて……。痛いよ。うう、痛い、うう。
しかし、俺はわかっているんだ、この痛みが引き潮のようにおさまることを。我慢していれば、また何も感じなくなる。
ほら、行くぞ、もう。
美貴が言ってたっけな、陣痛のリズム。「赤ん坊がお腹から出たいって、サインを送るのよ。そのサインは子宮に伝わって、子宮がちゃんと収縮運動をするのよ。最初はゆっくりね。えいえいえいって、出るぞ出るぞ出るぞって。でも、そう簡単じゃないんだよね。赤ん坊、たいがいデカくなり過ぎちゃってさ、ちょっとくらいの収縮じゃ押し出せないんだよね。ほら、穴だってさ、赤ん坊の頭の直径よりずっと小さいんだよ、それなのに出て来るってんだもん、ヤダッ」
美貴はそんなふうに、陣痛の合間に、まるでビー玉をお茶碗のなかで転がすようにころころと喋った。喋って喋って、またイタタッと、まるで番組収録中に「カット!」と指示されて台詞を中止するように、突然話をやめて、顔を思い切りしかめてその痛みに耐えた。「陣痛が来てる間ってさ、呼吸すら苦しいのよ。なんかつい歯、食いしばっちゃって、息止めちゃうの。そうじゃなくて、ゆっくり、痛いからこそゆっくり吸って、吐いて、吸って、吐いて、を繰り返すことが必要なんだよ。空気をね、すうううっと、赤ちゃんに届けてあげるつもりでさ。でも、これも簡単じゃないんだあー、赤ん坊のことよりとにかく自分が早く楽になりたいって、それしか頭にないっての」
美貴はそのあとも分娩室へ向かうまで、お喋りと「イタタッ」を交互に幾度も演じていたっけな。
美貴。
ああ、また、来たよ。
ううううう。痛い痛い痛い……俺はどんな顔をしているんだろう。
あの時の美貴みたいに、そこまで歪むかってほどに顔、しかめているだろうか。
違うんだろうな。
「わかるんですか、ドクター」
「わかるとも、君、血が通った肉体なんだからな。こうして手をあてたり、だな」
奴らだ。どちらか知らんが、俺の下腹、臍の近くに掌をあててやがる。
聞こえているんだぞ、おい。
「どの程度の痛みなんでしょう」
「感じかたは人それぞれだ。とくにこうした患者の場合は想像もつかんが、痛みを感じてもらわんとな」
「放置するんですか」
「痛みが刺激になってくれればと思うとるんだよ」
「では鎮痛剤は」
「不要だ」
野郎、さんざん人の腹を撫で回しやがって。
俺は、すべて感じている。医師は、俺の内臓を締めつけている痛み、なんだか俺にはわからんが、その原因を突き止めているようだ。確かめるように右から左へと、指圧するように掌が動く。今では俺は、医師の手の、どの指のどの関節が腹のどの位置にあるかさえ、わかる。
おい、そんなに触んなよっ。
「五感のうちいくつかは機能しているということですか」
「そうだ。この人は四肢が動かん。瞼の開閉もできん。しかし睡眠中でなければ音は聞こえ、皮膚は温度を感じているはずだ。目を開ければ見えるはず。だが反応する術を、体が失っておる。腹痛が、覚醒させてくれればいいんだが、体を」
痛い、痛いよ、美貴。会いたいよ、お前と赤ん坊に。
お前が俺の顔に乗せてくれた赤ん坊の、ちっちゃな手の感触、忘れてないぞ。見たいんだよ、どうしても、赤ん坊を抱いたお前を、この目で。
痛い、ううううう、痛いぞっ。こんなに痛いのになんだよ、医者のいうように、起きろよ、俺!
「変化なしですね」
助手らしき男の声に、医師は、ん、だの、あ、だの、言葉にならない返事をした。奴らの足音が遠ざかる。
俺はまだ、眠る能面のような顔をしたまま、ぴくりともせず横たわっているのだろう。
諦めないぞ。
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