“Il etait une fois, une catastrophe…”
2013-03-11


と心底安堵してくれるその言葉に複雑な気持ちになる。なにも、よくなんかない。問題は「ここ」ではない。何も喜べない。
自分が書くことをなりわいとしていることに、とてつもなく無力感や虚無感を覚える。ここでこうしてぐだぐだ書いていて、どうなるというのだ。誰ひとり救えはしないのである。どんな傷も癒すことはできないのである。何も、前に進められないし、何も、受けとめることができないのである。
身を挺して被災地のために働く人々に、神よ、力を!

2011/03/16 01:46:47
昨日、卒業式だった。
こんなときだけれど、子どもたちには心の底からおめでとうを言ってやりたい。この日を無事に迎えることができたことを、素直に、心から、喜びたい。
式典に先立って、全員で、今回の災害で亡くなった人たちに黙祷を捧げた。
また、卒業生を代表して元生徒会長が述べた答辞では、命の尊さを肝に銘じて……と、東日本の大地震に触れていた。
(……)
子どもたちが大人へのステップをのぼろうとするときに、こうした事態を見聞し考える機会を得ていることは、当事者の方々にはたいへん不謹慎で申し訳ないけれど、成長の糧にはなると思っている。願わくば、子どもたちが大人になり、それぞれの場所で役割をもち、社会に何らかの貢献をするときには、十代のときに自分の国を襲った未曾有の大災害にうつして、人事を尽くせる人になっていてほしいと思う。
おめでとう。この春卒業を迎える子どもたちみんなへ。
おめでとう。さなぎ。

2011/03/18 22:21:37
一日がすごく長い。
(……)
自分の時計が被災地情報で刻まれるので、被災者の置かれている状況に変化や進展が見られないと長く感じるのである。
(……)
普通に寝て起きて、洗濯して食事つくって、いつものようにコートを着込みマフラーと手袋を着け、自転車にまたがって職場へ向かう。原稿を急かすクライアントに心の中で舌打ちしながらもう少し待ってと懇願したり、今たいへん混んでましてと言い訳したり。そんな、ともすればチキショーバカヤローとわめいてばかりの日常がいかに幸せなものかを改めてかみしめては、いる。
いるが、それでも私には私の、まったくもって憂鬱にさせてくれるさまざまなモンダイが、眼前に数え切れないほど多くのハードルとなって立ちはだかってくれる。私は家も流されていないし、原発からも遠いし、現状に文句を言う筋合いは何もないかもしれないが、手に負えない、私ひとりでは解決に程遠い難題をいくつも抱えている。
(……)
母親は目に見えて衰えてきている。病気ではないが、いろいろとよく間違えたり忘れたりすることが多くなった。このことはもう数年来起こっているのだけれど、運動能力の低下は顕著で、やはり歩けなくなると外に出るのが嫌になるし、外に出ないと刺激がないので記憶力やコーディネート力が低下する。そんなわけで任せていたいろいろなことを任せられなくなり、といって何もさせないわけにもいかないのでできることとできないことをこちらで調整してやってコントロールしながら、できることはできるだけこなしてもらわなくてはならない。そんなに複雑でも難しくもないことなんだが、いかんせん私に時間がないのでじっくり検討する機会がないのだ。てことはつまり、母が担ってくれていた家事はなし崩し的に私の役割と化しており、まったく毎日一秒だって家では座っていられない。
娘は何でもひとりでできるようになったが、とりあえずオカネのかかるヒトなので、もっと副収入が欲しいのだけれど、現状では家で一秒も空いた時間がない。これではスーパー闇仕事も請けられない。

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