Mais si c'est la joie pour eux?
2011-01-07


この記事にもあるが、箱根で活躍したランナーでのちにマラソンで名を馳せたのは瀬古と谷口くらいである。私はあまり熱心にマラソンをみるほうではないが、男子マラソンで活躍する選手と、箱根で活躍した選手との名前が一致しないなあとは感じていた。箱根で決死の走りを見せた選手ほど、それで選手生命を燃やしつくしているからなのだ。
大学にとっては箱根駅伝出場はまたとない大学の広報宣伝の場である。大学名が長時間テレビで放映される。アナウンサーに連呼される。東洋大などは柏原選手の活躍のおかげで入学志願者が1万人以上増えたという。したがって、そこでは莫大な予算がつぎ込まれている。駅伝選手は、大学の存続をかけた宣伝の場で、足と命をすり減らして走るのである。記事は、あまりにも巨大な規模の一大イベントになってしまったせいで、世界へ羽ばたく選手の育成という目的を果たせなくなり陸上競技としてはその意味で機能しなくなっている箱根駅伝を嘆いている。
それでも、箱根駅伝が観るスポーツとして群を抜いて面白いものであることには違いなく、私の周囲でも、普段は何もスポーツ観戦をしない人でもお正月の箱根だけは観るという人が多いから、その人気の高さは凄まじい。
走る、ということの面白さや爽快さは、走らない者にはあまりピンとこない。
まだ中2の時だったか、ウチのさなぎの散らかった机の上に、キョーカから渡されたらしき、紙を折り畳んでつくった手紙があるのを見た。どれどれと、さささっと、中を見た。
「ウチが走るようになったんは、さなぎのおかげやねん。5年生のとき、先生が集めてた小学校駅伝のメンバーに、キョーちゃん一緒に入ろって誘ってくれたんは、さなぎやった。あの時さなぎに手を引っ張られへんかったら、今、ウチは陸部にいいひん。こんなに走るの好きになってへん。ありがとう、さなぎ。これからもずっと一緒に走ろうな」
だいぶはしょったが(それに記憶違いもあると思うが)、だいたいこのような内容だった。キョーカがこの先、立派な選手になってもならなくても、彼女がそんなにも走る喜びを知り、目標を持ち、ひたむきに頑張るのなら、そうした時間と思い出を共有できたさなぎはどんなに幸せ者であろうか。キョーカを陸上へ「導いた」(笑)者のひとりとして誇らしく思うことすらできる。
もはや箱根駅伝が、あまりクリーンでないお金が動くようなそんな営利事業に落ちぶれているのだとしても、現実に選手はあの道を走っている。彼らは幸せに違いないのだ、たとえそこで、大学の名のもとに、力尽きようとも。
世界に羽ばたくマラソンランナーが背負うのが日本という母国の名だとしたら、箱根駅伝のランナーは母校の名と友情を背負っているのである。そこにそんなに違いがあるとは思えない。箱根駅伝が大会・大学関係者を大きな金の動きで潤す構造は、オリンピックのそれとたいして変わらないと思うがどうであろうか。

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