小中学生の花粉症罹患率って出てないかな誰か知っていたら教えてください、だから直してあげられるわけじゃないけど、という話 ― 2009/04/13 12:27:16
http://midi.asablo.jp/blog/2009/03/11/4168314
どちらかというとヒノキ花粉のほうがより天敵に近い私の場合、ここ2週間くらいのとんでもない陽気のおかげで空模様とは裏腹に気分は陰鬱、眼はウサギ眼、思考力ゼロの日々を送っている。この季節、春らしいうららかな景色は室内に引きこもってガラス窓の内側から眺めて楽しむのみが鉄則なのだが、不幸にも外回り取材が日帰り出張で立て続けに3日、週末おいてまた3日と続いたせいで、思考力ゼロどころかマイナス500くらいである。インタビューしていながら相手のいうことをほとんど聞いておらず、生返事を繰り返しておべんちゃら言ってはい終わり。帰社してそれを原稿にする段になって「何言ってたっけあの人……つーか私何質問したっけ」とほとんどゼロの記憶を手繰りつつ、マイナスの思考力では何も捗らず、惨憺たるありさまだ。
中学へ入学したばかりの可愛い甥っ子までが花粉症に悩まされている。
市内有数の難関中学校を二つも合格したよくできる自慢の甥っ子である。伯母の私によく似てお勉強がよくできるが、伯母の私によく似て花粉症デビューまでしてしまった。
……なんつーてるが、彼のアレルギー体質は間違いなく母親である弟の嫁のDNAである。ついでにいうとお勉強がよくできるところも某K大院卒カップルである弟夫婦のDNAであって私はまったく関与していないのだが。
弟の嫁はアトピーで幼少から悩まされてきたらしく、現在もいろいろなことに気をつけないと皮膚が大変なことになるらしい。そのことと花粉症は直接何のかかわりもなさそうだが、やはり甥は小さなときから何かと過敏で、ちょこちょこ医者の世話になってきた。父親である私の弟は幼少時から気管支が弱く、しょっちゅう喉を痛めて発熱していた。一緒に中国を旅行したときも、たしか重慶で、どういうわけかヤツだけが喉を痛めて熱を出したが、薬局を訪ねて筆談と身振りで症状を説明してもらった薬がとんでもなくよく効いて(!)瞬時に治癒したという経験の持ち主である。その後もあの薬買いだめしとくんだったと後悔することすること。恐るべし中国漢方。いやそれはともかく、甥はやはり喉もあまり強くなくて咽喉科通いもしたことがあった。
そしてついに花粉症。目と鼻の両方が辛そうで、症状の出方は現在の私そっくりだ。ああ、こんなDNAしかあげられなくてスマン、甥っ子。
私が花粉症を発症して以来というもの、弟夫婦は、マスクに眼鏡姿の私をまるで仮装大賞のリハーサル中かのように扱い、世の中の人々がどんなに花粉症に苦しんでいるかを説いてもまるでイスカンダルでの出来事のようによそごと扱いしてきおったが、ここへ来てようやく関心をもち始めたらしい。しかしその認識の程度の低さというか甘さというか、無関係だとこんなに無関心なのね、非花粉症患者たちめっこんにゃろーという感じである。
「マスクは必須だよ」
「でも、誰もしてないからって、つけるの嫌がるんです」(弟嫁)
「ダメだよ、とにかく花粉を浴びないことが第一だからさ。通学路長いんだし、せめて学校に入るまでは防御しないと。他にも花粉症の生徒、絶対いるよ。誘い合わせてマスクつけるんだ!」
「えー……。やだ」(甥っ子)
「さなぎの学校はマスク率高いぞ。寒くなり始めたらインフルエンザ、暖かくなりかけたら花粉、だから冬から春はマスクっ子だらけになる。予防線はってるんだよ」
「そういう雰囲気が学校にあったらいいけどねえ」(弟嫁)
「学校に働きかけなよ、健康上の問題なんだからマスク励行呼びかけてくださいって」
「わかってくれるかなあ」(弟嫁)
「進学率を売り物にしてる学校なんだからさ、思考力下がって学習効率落ちたらT大K大進学率ナンバーワンの座も遠からず危ういってことになりかねませんぜ、ダンナ……って脅してみたらどうよ。聞く耳持つよ」
「それ、いいですねえ」(弟嫁)
「ははははは。おばちゃん、やってよそれ」(甥っ子)
しかし、学校の先生たちというのは意外と世の中のことをご存じない。公立私立問わず、世間知らずのにいさんねえさんおっちゃんおばちゃんが大変に多い特殊な社会なのである。もちろん、よくわきまえてらっしゃる方も中にはおられる。
すこし前だが、愛するウチダのブログのリンク先にある「スーさん」という方のブログで笑っちゃうエントリーを見つけた。面白いので一読されたし。
http://nagaya.tatsuru.com/susan/2009/03/06_1236.html
近頃は年齢が一桁の子どもたちにも発症例が珍しくない。中学生くらいになると軽症を含めればかなりの割合で花粉症、つまりアレルギー性鼻炎、結膜炎、気管支炎である。
花粉症は人災である。
花粉症治療は国家と医学界と製薬業界の陰謀である。治る薬はけっして開発されない。緩和する薬のみである。
つまり花粉症は不治の病である。やがてこの病気も遺伝のせいにされてしまうであろう。
私はといえば、ヒノキの襲来のあとはイネの復讐が待ちかまえておるので5月いっぱいは気が抜けないし下手すると6月までカユカユぐずぐずイイガイガ状態だが、なんとなくそれが生活リズムになってしまっているように思われる自分が悲しい。。
陰謀だ陰謀だとわめいていても事態も症状もよくならないので真面目に情報を探してみたという話 ― 2009/04/15 19:23:08
(ついでにいうと、マイブログも検索にひっかかっちゃって何だこれと思ってクリックしたら見覚えのあるトマトが出てきて赤面)
親御さん自身が花粉症という家庭が多いが、必ずしもそうではないというケースもあって、花粉症患者の苦しみがわからないので、かゆがる子、鼻水クシャミが止まらない子に対してどう手を打てばよいのか途方に暮れている人もいた。
そんな中で参考サイトとして挙がっていたうちのひとつがここ。
http://southernlovesong.holy.jp/
なんと。根治療法新型ワクチン開発中!だって!!!!
ほんとかーーーー!
これを一回接種1万円とかで「売る」んじゃないだろーなー
乳幼児向けのポリオワクチンみたいに無料で国民全員に接種を義務づけんといかんぜよー国民病なんだからよー人災なんだからよーここ何十年と「陰謀」で何十億円と稼いだんだろーああん?
って、誰にすごんでるんだか(笑)。
このサイトで、花粉症に効くお茶として挙がっている「べにふうき」だが、「効く」のはほんとらしい。というのもこれを製造販売している会社に取材に行ったので知っているのだ。(取材の目的はべにふうきと全然関係なかったんだけど)
でも、もちろん、根治じゃなくて、緩和するだけ。
その会社の人の話によると、12月頃から花粉飛散時期終了まで毎日飲み続ければ、「かなり楽になりますよ」ということだった。
でも、茶葉から抽出して、つまり普通の緑茶や紅茶を急須やティーバッグで飲むのと同じようにして飲んでも効果は期待できないらしい。
茶葉そのものを体内に入れないと意味がない。
だからその会社では「粉末」にして、それごと摂取できるように加工して売っているという。
効くかもしれない。かな? と、ちょっと思ってみたりする。
じつは「べにふうき」の名は少し前から知っていた。だけどお茶としてはあまり飲みたい気持ちをそそらないように思えたので関心をもたなかった。すごいとか効果抜群とか宣伝文句が派手なほど、「どうせ大したことねー」と同義に見えるしさ。
(最近のネット通販の売り出しキャッチコピー群は、こんな表現してもいいのか?と思うような誇大表現がゴロゴロしてるけど、こういうところまで公共広告機構の手は伸びていないのね)
私のような者には、ここで「べにふうき」が対策グッズとして一つ増えたところでもはやあまり関係ないかもしれないのは、当ブログにお越しの皆さんならよくご存じですよね(笑)
http://midi.asablo.jp/blog/2009/03/12/4170951
ネトリブレンドの例のハーブティーも、毎年愛飲しているルイボス茶も、日々の気休めと化している。アルコールを控え、ヘルシーなお茶をあれこれ試すようになったのも、花粉症のおかげといえなくもないけれど。
でもやっぱり、しんどいよお~
今年の12月になったら例のお茶の会社を訪ねて「粉末べにふうき、ください」といっている自分がきっといるであろう(笑)。
一周忌です ― 2009/04/17 12:00:58
高齢でらしたので、いつ亡くなられてもおかしくないといえば失礼ですが、でも私はなんだかセゼールはずーっと生きながらえていくような、そんな錯覚をもっていました。
訃報を知ったときにはあまりのショックに体中が空洞になったような気がしたものです。おおげさでなく、しばらくはまともに思考することができずに、ものすごく投げやりに日々を過ごしていたような気がします。誰ともこの悲しみを共有することができません。しようと思えばセゼールなる人物は誰なのか、私はなぜ彼を敬い尊び愛情すら覚えるのかということを説明しなければなりません。面倒というよりも、そのために悲しみが倍加しそうなので、心の奥底に驚きも悲しみも悔いも全部しまいこんで何事もなかったように過ごしていたのでしたが。
フランス語の勉強を始めて、それを続けることができているのはひとえにエメ・セゼールの存在があったからでした。
フランス語を媒体にしたさまざまな世界を、垣間見ることができているのは、まず、エメ・セゼールの『帰郷ノート』を読んだからでした。この詩が私の思考の原点、始まりなのです。
そうはいっても、私はエメ・セゼールはもちろん、彼を市長に選び続けたマルティニークの人たちや、クレオールの名のもとに繋がるグアドループの人たちの、精神の在りかたや魂の置き場所について、砂粒のかけらほども理解しているわけではありません。
彼らの場所、彼らの記憶、彼らの存在しない根っこ、そして彼らがうたう詩は、追い求めても探し続けても触れられない、憧憬でしかありません。ただ、現代に生きる彼らの思考に少しでも近づきたいために、あれこれと読むことで自分を慰めていました。
エメ・セゼールは、私がいま、上で「彼ら」と呼んだ人たちの頂上かつ中心かつ周囲にいた、「彼らの父」でした。私は彼らの中にけっして入れてはもらえない。けれども、エメ・セゼールは、私の憧憬の象徴であると同時に、私が歩いてきた道の分岐や曲がり角にいつもいた人でした。エメ・セゼールという人の存在は、私という人間が歩き始めるきっかけだったのです。
エメ・セゼールはAime Cesaireと綴ります。
検索すれば彼へのオマージュがいくつもヒットします。
映像もあるので、興味のある方はぜひ。仏語ですけど。
何歳になったときがいちばん感慨深いですか? ちなみに私は17歳と27歳だった……ところで13歳にして「これ以上歳をとりたくない」とほざく娘よお前は何者なんだ、の巻 ― 2009/04/30 19:51:53
E・L・カニグスバーグ著 小島希里訳
岩波書店(2001年)
少し前の話になるが、2月に娘が13歳になったので、なんとなく「13歳」にちなむ本など読んでみようとタイトルで探してみたけど、これがまあ、なんにもない。何もないことこのうえない。13歳というのは読者を惹きつけるキーワードにはならないというわけか。
幼稚園年少にあたる「3歳」とか小学校就学年齢の「6歳」なら子育て中の親をターゲットにしたものが賑やかだ。14歳、15歳、16歳となるともうその年齢の当事者向けの本が増える。でも13歳って? ひとつ違いの「12歳」は「小学校6年生」と同義なので、これまた意味が濃くなリ、書物のタイトルにも効果的にはたらくと見える。でも13歳って?
13歳のハローワーク
13歳の生き方哲学
13歳の論理
13歳からの人間学
13歳からの自信力
13歳から始めるJAVA
(正確な書籍タイトルとは限りません)
どれもこれも面白くなさそうなことといったら(笑)
たしかに日本では、「13歳」は子どもに何をさせようと思ってもすでに「遅すぎる」感があり(英才教育という意味で、だよ)、そして「13歳」を大人として認めるのは「早すぎる」として社会が受けつけない。親のほうは「アンタもう好きにしなさい」と諦念から放任し、社会は「子どもは黙ってろ」「イマドキの若いもんは」と相手にしない。その始まりが13歳のようである。
私は、自分が13歳になったときに何を感じたか、ということの記憶がない。娘の13歳の誕生日も、だからといって特別な感慨はなかった。どちらかというと彼女の12歳の誕生日のほうが感慨深かった。ああ、もう12歳になっちゃったんだね……。私は子どもに車の助手席に座ることを許さなかった。娘はいつも私の後ろにひとり座り、耳元でお喋りして運転の邪魔をするか、シートに寝そべって寝息をたてるかどちらかであった。12歳になったら助手席に座らせてやるよ、と約束していて、娘もそれをすごく楽しみにしていたが、彼女が12歳になってひと月後に私は経済的な理由から車を手離してしまった。ごめんよ~(泣)
13歳の誕生日に娘は、これ以上歳を取りたくない、などとほざきやがったのだが、たぶん、それはもうここから先は(というよりそのときもうすでに)言い訳ができない、言い逃れができない、行動に責任が問われる歳になったということを自覚したのだな、と、ええように解釈しておいてやることにして、それはともかく、世間的に13歳ってどうなんだろうと思って本などを探してみたわけである。結果は冒頭でぼやいたとおりだが、1冊、小説を見つけた。
カニグスバーグという作家の名前は、仲間に入れてもらっている児童書の翻訳の勉強会ではとてもよく登場する。英語圏の作家はとても遠いので、例によって私は一冊も読んだことはなかったが、今回初めて読んでみようと思い至って図書館へ行った。「カニグスバーグ」の書架はすぐ見つかった。結構借り出されている。本書が残っていたのはタイミングがよかったにすぎないのだろう。
『13歳の沈黙』は、黙りこくってしまった当事者と、彼を見守り彼に語らせるために懸命になるその親友「ぼく」の、二人の少年の物語だ。この二人が喧嘩したり助け合ったりする、という陳腐な話ではない。当事者のほうは重大な嫌疑をかけられ拘留されている。言葉を失い、尋問にも答えられない。「ぼく」は親友に罪はないことを信じて行動する。構成と章立てに工夫が見られるうえ、二人を支える脇役の人物描写にもすぐれていて、物語を説得力あるものにしている。面白い、といっていい。
舞台は架空の大学都市で、二人の少年の親たちはみな大学関係者である。会話表現がなんだか回りくどいと思うのは私だけだろうか。大人たちは研究者くさい。子どもたちは理屈っぽい。読んでいて、なんとなく、癇に障るというか、癪に障るというか(笑)、こいつら可愛くねー(笑)、みたいな。
で、私は、この物語の主人公である二人の少年の、中途半端に大人びたもの言いが「13歳」ということなのだろう、と考えることにした。なんたって13歳はサーティーンだからティーンエイジャーなのである。子どもじゃないのである。「ぼく」もその親友も13歳という設定だ。物語の冒頭で「ぼく」がそう述べている。しかし、物語の中で「13歳」という言葉が出てくるのはそのときだけで(だったと思う)、以後、お話が終わるまで、13歳ということはあまり問題にならない。人物の台詞に「君(ぼく)はもう13歳なんだ」とか「子どもじゃない」とか、そういうことは書いてなくて、話のポイントどころか余分なエピソードにすらなってない。親友は13歳だから沈黙しているわけではない。「ぼく」も13歳だから事件解明に乗り出しているわけではない。たしかに微妙なお年頃の少年たちであるということは物語の流れやキーパーソンの女性たちとの会話ににじみ出ていて、大人と子どもの境目にあることはよく伝わってくる。けれども、大人と子どもの境目なら12歳でも14歳でも構わなかったはずだ。なぜ「13歳」なのか。
本書の原題は「Silent to the Bone」、訳者あとがきによれば「骨の髄まで黙りこくって」という意味だそうだ。……だったらそういう邦題にすればよかったのに、と思ったのは私だけだろうか? 物語の中で、「沈黙」はたいへん大きな位置を占める。その沈黙は「すねて口利かない」なんつうレベルではない。深い、闇の沈黙だ。事件の謎を解く鍵でもある。その沈黙の深刻さをタイトルに表現したほうが、著者の意図を汲んだものになったんじゃないのか?
訳者あとがきによれば(もう、うろ覚えなんだけど)、カニグスバーグの主人公たちはこれまでは(本作以前、という意味)12歳以下だったらしい。つまり、いつも正真正銘の子どもが主人公だったのに、今回は大人への扉を開けた少年たちなのだ、といいたいようだ。いわく、カニグスバーグが13歳を描くのは初めてである、これからもこの作家は13歳の世界も書くのだろうか、どんな13歳を見せてくれるのか楽しみだ、云々。
でも、そんなの、この本で初めてカニグスバーグを読んだ者(あたしがそうだよ!)には全然関係ない話じゃないの? カニグスバーグを読む人はみんなカニグスバーグのファンで、カニグスバーグ作品をすべて読んでいるということを前提にして訳されて編集されちゃうって、どうよ。(いや、そうは書いてないけどね)
そんなふうに勘ぐって読むと、「ぼく」の言葉遣いも「ぼく」の一人称で進む地の文も、なーんだか理屈っぽくて論理的なもの言いを意識しすぎのきらいがある、と感じるわけも、わかるような気がする。「それまでの」カニグスバーグの主人公たちとは違うのよ、ということを強調しようという無意識下の意識がきっと働いたのね。
そんなわけで本書はなかなかに面白かったが、「13歳」をキーワードにしてようやく探し当てたということに関しては、期待は裏切られたのであった。
ま、そういうことだから、けっきょく13歳って、みそっかすなんだよ、世の中的には。はよ大人になれ、娘。
ところで、表題の「何歳になったときがいちばん感慨深いですか? ちなみに私は17歳と27歳だった」について。
17歳というのは南沙織のデビュー曲だったでしょ。桜田淳子も「十七の夏」って歌ってたよね。その歳に追いついたとき、「海行きてえなあ」と思ったよ(笑)。
27歳のほうは、社会人になりたてのときのこと、会社の接遇課の先輩(お客様応対がお仕事なので美人揃い)のひとりがこう言ったのだ。「早く27歳になりたいわ」。どうしてと訊くと、27歳になれば誰の指図も受けずに生きていけると思うのよ、という話だった。上司の指示だけで動く今とは違って。親元にいる今とは違って。たとえまだお嫁にいってなくて親元に居続けたとしても、自分の意志で生活する。管理職に就いているとは思わないけど、まだ上司の下で働いてると思うけど、自分の意志と判断で仕事をする。27歳になればそうやって自分の足で歩いてる自分がいるような気がするのよ。そういうことをその先輩は言ったのだった(大阪弁で)。私は素直に、あたしも早く27歳になろ。と思ったものだった。
17歳、私は高校がつまらなくて、デッサン教室またはどこかで絵ばかり描く日々だった。
27歳、私は南仏で怠惰な学生をやりながら安ワインを飲んだくれていた。